最も恐ろしいこと

誰が言ったのかは覚えていない。しかも、うろ覚えかもしれない。しかし過去にこういう文を聞いたことがある。

一番恐ろしいのは、悪ではなく正義だ。

と。
何を言ってるのだ? と思われるかもしれない、つまりこういうことらしい。悪人が悪だと思ってやっていることは自分で認識をしているので躊躇いがある。しかし、正義で事を起こす人間は自分が必ずしも正しいと思っているので、躊躇がなく事を為し、それを悪であるという自覚を欠片も持たない。

例をあげれば、戦争という状況において、正義の名を背負って戦争を起こす事になるとする。正義の名を背負う下では悪を倒すという善意を行っている事になる。悪であれ人を殺す事こそが正義となり、それ故に躊躇もない。

迫害とか差別では、常に自分の正当性を主張しそれを行う。それを行っていたのは、まさにこういう理由だろう。

ちなみに、こんなこと日常にはあるはずないじゃん。と思っている人はいるだろうか?
それは違う。日常において、ある法則や理論が全く日常には関係ないなんてことはおそらくない。探せばいくらでもあるのだ。「ない」なんていう人ははっきり言って、見えないだけだ。

例えばだ。日常で、自分が行っている事は正しい事だと思って事を為す人間がいるとする。その人がそう自分で解釈すれば、他が介入したところで自分の意見は曲げない。だって自分が正しいと思っているのだから。その人間ほど、都合のいい解釈を起こしては、容易く恐ろしい事を仕出かす。

しかし、当然周りの人には見えるのだ、その行為はおかしいと。
だが周りの人間はなぜか言えない。その人は正しいと思っている故に、水掛け論になったりでめんどくさい事になったり、スネられて議論を放棄されたりと、言った所でいい結果がでないと分かっているから。だから、その人はずっとのさばり続ける。そして我慢が限界に達した時に周囲の人間は突然反乱を起こす。

だけど、そんなのが日常に起こっている事を知らない人間もいるのが事実。もし、貴方が全く想像もつかないと思っているのなら・・・それはすごく平和な所で暮らしているか、全く気づいていないかどっちかであろう。

さらに考えを拡張すれば、別に個人の考え方だけが作られた正義になるとは限らない。実績、勝敗、理論・・・など、他人と比較される物はそういう事が常に付きまとう。もしかして、貴方は目に見えるものでしか差は見えてないのではないか?

まさにその人こそ、自分の作った正義に惑わされているといえよう。
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COMMENT

- n本

なんて倫理学的な話題
ぜひ倫理学研究室にお越し下さいませ

2010.09.24(Fri) 21:20 | URL

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